第1話
大学が夏休みに入る直前、親の仕送りがストップしてしまった。
なんでも、パパの会社が経費削減とかで給料&ボーナスが大幅にカットされたのが原因らしい。
そんなのって、もっと前からなんか兆候みたいなのがあったでしょう。もっと早く教えてほしかったよ。ホント、マジで。
まぁ、授業料やアパートの家賃なんかは貯金でどうにかしてくれるらしいんだけど、その他の生活費まではもう面倒見きれないらしい。
圭織、自慢じゃないけど今までバイトってあんまりした事ないんだ。だって、職場の人間関係ってのが面倒なんだもん。
圭織はいっつも、主導権を握っていたいの。ワガママ? そんなことないよ。ただ、あれしろこれしろって言われるのが嫌いなだけ。圭織は平和主義者だから、主導権握って平和にやっていきたいだけなの。
だから、あんまり人の多いバイトはパス。
掲示板にベタベタ貼ってある求人募集の貼り紙。左からずっと見てきたけどパスの連続。あーあ、もうあと3枚しかないよ。どうしようかなぁって思ってたら、最後の1枚になんか良さそうなのがあった。

【家庭教師募集
時給2500円
※交通費別途支給
勤務日:週3日 (月・水・木)
勤務時間:2〜3時間程度(相談応)
指導教科:中学ニ年教科全般
年齢・経験不問
※女性に限る

問い合わせは、学生相談窓口まで
コードNo.3587】

どうしようかなぁって迷った。ニキビいっぱいの男子中学生っだったらなんかちょっとって思ったし、家庭教師なんて今までした事なかったし、友達からは大変だって聞いてたし。でもまぁ、寄り好みしてる暇もなかったから、一応その貼り紙を剥がして問い合わせてみた。
以外にも、あっさり決まってしまった。自慢じゃないけど、圭織、頭はまぁまぁいい。小・中・高とそれなりに上位をキープしてたし、今もまぁ世間的には一流って呼ばれる大学に通っている。
それが良かったのかわからないけど、すぐに家庭教師としてのバイトは決まった。
なんだか、相手は切羽詰ってるらしくできればすぐ来てほしいとの事で、問い合わせた2日後にはこうして家庭教師先の「辻家」にやって来ている。
「ふーん……」
東京にしては、なかなかでっかい家。
北海道にある圭織の家に比べると小さいけど、金額に換算するとまぁ負けてるだろうなぁ。
なんて、ぼんやり考えながら辻家のベルを鳴らした。
「はい」
インターフォン越しに届いた声は、母親だろう。圭織は、ちょっと緊張して軽い咳払いをした。
「あ、あの家庭教師の件でおうかがいしました。T大学教育学部飯田圭織と言います」
「ああ――、はい。少々、お待ち下さい」
気さくな人で本当にホッとした。
"ざます"なんて言葉使いの人だったらどうしようって思ったけど、ぜんぜんそんな事なくてよく笑うとてもいいお母さんだった。
どうやら、娘さんの成績がすごく悪いらしい。
今まで何人もの家庭教師、それこそ元・塾講師なんていうその道のエキスパートがやってきたけど、全員、自信をなくして辞めていったそうだ。
そんな人達ですら手におえない娘さんを、家庭教師未経験の圭織がどうにかできるなんて……と、ちょっと胃の辺りがキリッと痛んだ。
断ろうかどうしようか迷ってると、どうやらその本人が学校から帰ってきたらしい。母親は、娘を呼びに部屋を出ていった。
「もう、ダメだ……。帰ってきちゃったよ」
リビングで、圭織は思いっきりうなだれた。
しばらくして、母親と娘がやってきた。
「希美。こちらが、新しい家庭教師の飯田圭織先生よ。ちゃんとご挨拶しなさい」
母親の後ろに隠れるようにして立っている少女。
白い八重歯を微かにのぞかせて、ぼんやりと物珍しそうに圭織を見ていた。
「初めまして。飯田圭織です。よろしくね」
と、圭織は少女の緊張を解かそうと、ほんの少し前かがみになってニッコリと笑って挨拶をした。
――のに、少女は一瞬、怯えたような表情を浮かべるとまさに脱兎の如くその場を走り去っていった。
ショックだったよ……。

「こ、こら、希美。――す、すみません。ちょっと、人見知りする子でして」
と、母親は引きつった笑みを浮かべていた。人見知りっていうか、圭織自身も気づいてるんです。よく言われるんです。顔が怖いって。でも、その事は母親には伝えず、圭織も引きつった笑みで「最初ですから」とかなんとか言ってその場の空気を濁した。
階段を一歩上がるその足どりは、本当に重かった。さすがに、逃げられるなんて思わなかったし、そんな逃げるような少女とこれから上手くやっていけるんだろうかと考えると、胃に穴が開きそうだった。
「こっちが逃げ出したい」って、本当に思った。
母親に案内されて、部屋に通された時。少女は、もう椅子に座っていた。そして、圭織の顔を見ると申し訳なさそうにペコンと頭をさげた。
それを見て、圭織は心を癒された。あぁ、この子はいい子なんだなぁって。だから、母親に「じゃあ、これから授業を始めますので」って自然な笑顔で言えることができた。
「じゃあ、よろしくお願いします。――希美、先生の言う事、ちゃんと聞くのよ」
と、母親は少女の部屋を出て行った。
どっちかって言うと、圭織も人見知りするほう。だから、少女と2人きりになってもすぐには上手く喋ることができなかった。
でも、圭織がお姉さんだし家庭教師なんだからしっかりしなきゃって、勇気を出して言葉を発したよ。
「リングって映画知ってる?」少女は、きょとんとした顔で圭織を見上げていた。
「圭織ね、その映画に出てくる貞子に似てるってよく言われるの」
少女は、じーっと圭織の顔を眺めていた。そして、その表情は怯えたものになった。
――また、圭織はショックを受けた。冗談のつもりだったのに……。
「あ、ジョーク。ジョークなんだよ」
少女は、くるりと背を向けてもう圭織の顔を見なくなった。
「そんな……」
軽い目眩を覚えながら、少女のベッドに越しかけた。
「私の顔って、そんなに怖いのかなぁ……」
圭織は、たまに自分の心の声を口に出すことがある。この時も、そんな感じだった。決して、口に出したくて出したわけではない。うつまいたまんま、ポロっと出てしまったの。
『そ、そんなことないれす』
小さな声が聞こえてきて、圭織は「?」って感じで顔をあげた。いつの間に――。部屋に入ってきたときと同じように、ちょっとうつむき加減で少女は圭織の事を見てた。
「そんなことないれす」と、少女はもう1度ポツリとつぶやいた。
「ホント?」
圭織の問いかけに、少女はこくんとうなずいた。
その姿がとても可愛くて、思わず笑いそうになったんだけどまた怖がるといけないから「ありがと」とだけ伝えて勉強をすることにした。
少女の学力は、それはもう凄いものだった。成績が悪く、この道のエキスパートも匙を投げる程だって聞いてはいたけど……まさか、掛け算の九九も満足に覚えきれていないとは……。
――悩んでいる圭織の様子を、敏感に感じ取ったのか、少女はとても悲しそうな顔をして笑った。
「辻は、学校でもびりっけつなんれす。すっごく頭が悪いんれすよ」
と、舌っ足らずな喋り方でそう言った。とてもとても、自分に自信をなくしているような笑顔だった。
そんな悲しい笑顔を見るのは、圭織は初めてだった。見たことあるのかもしれないけど、それはいかにも同情してほしいって感じのものだったから覚えてない。
でも、少女の笑顔は同情なんかを求めてなくて、なんて言えばいいのかな、もうこんな自分はダメって感じのなんか自虐っぽい悲しい笑顔だった。
「そんなことないよ。焦ることない。ゆっくりでいいから、一緒に頑張ろう」
と、圭織は思わず少女の手を握った。
少女は、きょとんとした顔をした。きっと、手を握った時の圭織の顔は、怖かったと思う。自分でもわかってた。
また、怯えられるのかなぁって一瞬考えたりしたけど、少女はとても嬉しそうな顔をして「へい」って大きくうなずいた。

【辻――。辻はあの時「はい」って言ってたみたいだけど、圭織には「へい」って聞こえたんだよ】


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